「自動車」は、我々の暮らしに深く根ざした、重要な移動手段である。
通勤や買い物、家族とのお出かけに欠かせず、物流や経済活動を支える、基盤でもある。
しかし、その一方で、操作ミスや不注意が、大きな事故につながる、危うさも抱えている。
たとえば、SNSの世界では、問題が起これば、運営によるルール強化や、仕組みの見直しが行われる。
これに対して、「自動車」の世界では、同様の“自ら危険を防ぐ仕組み”、いわば、「自浄機能」の整備が、まだ十分とは言えない。
あおり運転、逆走、高齢者の操作ミスなど、意図せずして、他人を傷つけるリスクは、どのドライバーにもある。
だからこそ、これからの時代には、AIや先進技術を活用して、「人を守る自動車」が当たり前になる未来を、目指すべきである。
ここでは、事故ゼロを目標に掲げる、スバルをはじめとした、自動車メーカーの取り組みや、「自動車」の安全を支える技術の進化、そして、企業が果たすべき、社会的責任について考えてみたい。
- 第1章 自動車に求められる「次の進化」──保険ではなく、未然に防ぐという思想へ
- 第2章 “便利”より“安全”へ──「事故ゼロ」を本気で目指す企業が生き残る時代
- 第3章 AIがつくる「自浄機能」──自動車自身が危険を学び、防ぐ時代へ
- 第4章 責任の所在を超える未来へ──「事故ゼロ」の社会設計
- 第5章 移動は「権利」から「選択」へ──近未来の自動車社会が目指すかたち
- 第6章 「事故ゼロ」への挑戦──メーカーの責任と未来への約束
- 第7章 優遇されてきた産業だからこそ──責任と恩返しの自動車づくりを
- 第8章 「選ぶ自由」が“選べない現実”──ユーザーの声が未来を変える
- 第9章 いま、自動車が問われている──「命を運ぶ」インフラとしての進化へ
- まとめ──自動車が守るべきもの、それは「命の未来」
第1章 自動車に求められる「次の進化」──保険ではなく、未然に防ぐという思想へ
「自動車」には、万が一の事故に備えて、「自動車保険」が用意されている。
もちろん、これは、加害者・被害者ともに、一定の安心材料となる制度であり、社会にとって必要不可欠な、セーフティネットであることは、間違いない。
しかし、今の時代、「お金で後始末をする」という考え方だけでは、もはや十分とは言えない。
たとえ、法的には補償されても、命の損失や心の傷は、金銭で帳消しにできるものではない。
特に、歩行者や子どもなど、なんの落ち度もない人々が、突然危険にさらされるような事故が、繰り返されている。
この様な現状を見れば、“起きてしまった後の対応”ではなく、“そもそも起こさないための仕組み”こそが、社会として求められている、次のステージである。
SNSなどのデジタル空間では、不適切な発言や投稿があると、即座にAIが検知し、非表示にしたり、投稿者に警告を出したりといった、「仕組みでの予防」が、整えられてきた。
一方、物理的な存在である、「自動車」の世界ではどうだろうか?
逆走、踏み間違い、あおり運転など、明らかなリスクに対しても、依然として、「ドライバー任せ」の部分が大きい。
これは、テクノロジーが進歩した現代においては、明らかに不自然な状況である。
言い換えれば、いまだに人の命を、「運」に委ねる乗り物であること自体が、時代遅れとも言えるのではないだろうか。
「自動車」が、これからも社会の主役であり続けるためには、「事故を起こさないこと」そのものが、標準装備されていく必要がある。
保険が、“備え”であるなら、AI技術や自動運転支援は、“そもそも事故を防ぐための責任”の一部なのだ。
次章では、こうした視点から、実際に事故ゼロを目指す、自動車メーカーの取り組みを、紹介していく。
第2章 “便利”より“安全”へ──「事故ゼロ」を本気で目指す企業が生き残る時代
かつて、「自動車」の進化といえば、スピード、燃費、快適性、あるいはEV化や空飛ぶクルマのような、未来的なイノベーションに、注目が集まっていた。
もちろん、これらの技術が、社会に価値をもたらすことは、疑いようがない。
だが、今この瞬間、社会が本当に求めているのは、そうした“夢の機能”ではない。
今、「自動車」が、最も取り組むべき進化とは、「事故ゼロ」である。
これは、理想論ではなく、社会的責任であり、消費者との約束である。
人の命を預かる製品として、これまでのように「事故は仕方ない」「ヒューマンエラーだから防ぎようがない」とする時代は、すでに終わっている。
スバルは、早くからこの課題に向き合い、「2030年までに、スバル車が関わる、死亡交通事故ゼロ」を掲げ、アイサイトに代表される、先進運転支援技術を、磨き続けてきた。
その成果は、データにも現れており、スバル車ユーザーの事故件数は、非搭載車に比べて、大幅に低下しているという。
他にも、トヨタの「Toyota Safety Sense」、日産の「プロパイロット」、ホンダの「Honda SENSING」など、多くの国内メーカーが、安全技術の高度化に、しのぎを削っている。
しかし、その投資の温度差は、メーカーごとに明確であり、単なる“オプション扱い”にとどまっている企業も、少なくない。
ここで問いたいのは、「事故ゼロ」に、どれだけ本気で取り組んでいるか、という姿勢である。
どんなに美しいデザインでも、どれだけ電費が良くても、人の命を守れない「自動車」は、もはや市場に残るべきではない。
むしろ、安全をコストとして捉える企業は、淘汰されるべき時代に入った、といっても過言ではない。
これからの社会では、「人にやさしい自動車」こそが支持され、信頼され、生き残っていく。
そして、それを支えるのが、AI技術やセンサー、通信技術といった、先進テクノロジーなのである。
次章では、AIがどのようにして事故を未然に防ぎ、「自動車」の「自浄機能」を形作っていくのか──。
その中身を、具体的に見ていきたい。
第3章 AIがつくる「自浄機能」──自動車自身が危険を学び、防ぐ時代へ
「自浄機能」とは、「自動車」自身が状況を察知し、事故やトラブルを、未然に防ぐための、“自己防衛能力”のようなものだ。
これまでは、ドライバーの判断に、大きく依存していた部分を、AIやセンサーが担い、「自動車」が自ら判断して、安全を確保する。
これは、単なる「便利なサポート」ではなく、「人を守る義務」としての、技術進化である。
たとえば、現在の先進運転支援システム(ADAS)では、前方の車両や歩行者を、カメラやレーダーで検知し、自動ブレーキをかけるといった機能が、当たり前になってきた。
こうした機能の裏には、膨大な走行データや、事故データをAIが学習し、どのような状況が“危険”なのかを、判断するロジックがある。
教師あり学習か、自律学習か──AIの課題
AIは、「教師あり学習」といって、人が“こういう状況は危ない”という、正解データを与えることで成長するが、そもそも、人間がまだ知らない“未来の危険”には、正解データがない。
ここにおいては、AIが自律的に学習し、パターンを見出していく能力(強化学習やディープラーニング)が求められる。
これは、言い換えれば、「自動車自身が運転中に起こる膨大な事象から学び、事故を回避するための判断力を育てていく」という、未来の姿でもある。
その実現には、単にセンサーをつければ済む話ではない。
以下のような、複合的な技術と、社会設計が不可欠だ。
- 高精度なセンシング技術(LiDAR、ミリ波レーダー、ステレオカメラなど)
- リアルタイムな通信技術(V2X)
- クラウドと連携した走行データの共有と活用
- 地域ごとの交通事情を学習するローカライズAI
- ドライバーの表情や動きまでモニタリングする認知支援技術
これらを掛け合わせることで、ようやく、「事故を予測して止める」能力が、生まれてくる。
自動車が“責任を持つ時代”へ
重要なのは、これらの技術を、単なる付加価値ではなく、標準装備として実装し、命を守る責任を、自動車メーカーが引き受けることである。
事故ゼロを“掲げるだけ”ではなく、それに見合うテクノロジーと、社会実装の形が、問われる時代に入っている。
もはや、アクセルを踏み間違えても人に突っ込まない、逆走しても自動で停止・通報される、そんなレベルの、「自浄機能」を「自動車」が備えることは、“最低条件”になりつつある。
「自動車」に「気づく力」「止まる力」「守る力」を与える──。
これは、人間任せの交通社会から、協働型の安全社会へと進化する、第一歩なのだ。
次章では、このような技術や思想が、社会全体にどのような影響をもたらすか、そして、私たち消費者が、どう関わるべきかを、掘り下げていこう。
第4章 責任の所在を超える未来へ──「事故ゼロ」の社会設計
自動運転が、現実味を帯びる中で、ひとつの問いが、浮かび上がる。
それは、「もし事故が起きた場合、その責任は誰が負うのか?」、という問題である。
ドライバーか?
車のシステムか?
それとも、メーカーやインフラ側か?
吾輩も以前は、車が自動で動いていても、最後の責任は、“人間”にあるのではないか、と考えていた。
しかし、そうした議論自体が、不要になる社会が、技術によって可能になるのではないか──。
そう思うようになった。
自動車が“つながる”、世界が変わる
すでに、一部の先進車両では、車両同士が無線で情報を共有する「V2V(Vehicle-to-Vehicle)」、そして、インフラとも通信する「V2I(Vehicle-to-Infrastructure)」という技術が、実用化されている。
さらに今後は、「自動車」が周囲の歩行者、自転車、バイク、子どもなどの存在を、音や動きだけでなく、生体が発するわずかな電磁波や熱からも、察知できるようになる未来も、夢物語ではない。
例えば、視界に映っていなくても、前方の交差点に、人が近づいていることを察知し、自動でブレーキを、予測的に作動させる。
そんな「自動車」が、当たり前になれば、事故そのものが“起きなくなる”社会が、実現できる。
そうなれば、「誰が悪いか」を問う必要はない。
なぜなら、事故が起きない社会においては、責任論という発想そのものが、過去の遺物になるからだ。
「事故ゼロ」は、思想であり、義務である
もちろん、そのような社会の到来は、簡単ではない。
技術的なハードル、コストの問題、法制度、インフラ整備、そして社会の意識改革──。
どれも時間がかかるだろう。
だが、我々は、そこに向かうことを、“選ぶ”必要がある。
単に、「事故を減らす」ではない。
「事故が起こりえない構造を作る」という、より強い意思と未来志向が、「自動車」社会にとって、次のフェーズなのだ。
この未来においては、車は「移動手段」ではなく、「安全な移動空間」であり、人が街を安心して歩ける、“環境装置”となるべき存在である。
つまり、「自動車」が、“人間の安心”そのものを担う、インフラへと変化していくべき時代が、やってきている。
その責任は、運転手ではなく、社会全体とメーカーにある。
だからこそ、「自動車」に関わるすべてのプレイヤーが、「事故ゼロ」を単なるスローガンではなく、“未来の共通価値”として、共有していく必要があるのだ。
次章では、実際に「事故ゼロ」実現に向けて、具体的に、どのような取り組みが行われているのか──。
特に、先進的なメーカーや技術事例を紹介しながら、希望ある道筋を探っていきたい。
第5章 移動は「権利」から「選択」へ──近未来の自動車社会が目指すかたち
これまで「自動車」は、生活のため、通勤のため、娯楽のためと、「移動の自由」を支える、大切なインフラとして、進化してきた。
確かに、現代社会においては、“どこへでも行ける”ということは、人間の自由の象徴でもあった。
しかし、テクノロジーがここまで進化した今、そろそろ問い直すべきかもしれない。
「移動そのもの」が、本当に必要か?
そして、どのように移動すべきか?
ということを。
移動は「必須」から「選択」へ
オンライン会議、テレワーク、デジタルツイン、メタバース。
すでに我々は、肉体を動かさなくても“参加”できる社会を、築き始めている。
現実社会でも、都市内のモビリティは、パーソナルユースからシェアリングへ、さらには、「無人移動サービス」へのシフトが、始まっている。
つまり、これからの移動は、単なる手段ではなく、「価値のある体験」として、デザインされるべき、時代に入っているのだ。
だからこそ、移動に使う車は、「安全であること」が前提であり、かつ、「その時間が有意義である」ことが求められる。
事故ゼロ社会の前提:移動=快適、安全、自由
事故やストレスを伴う移動は、もはや“時代遅れ”である。
これからの「自動車」社会に必要なのは、「安心して移動できる」という確実性であり、それを提供できない移動手段は、選ばれなくなる。
すでに、自動運転やADAS(先進運転支援システム)の搭載車は、「ドライバーの代替」ではなく、「体験の質を高める道具」へと進化している。
運転中に、会話や思索、情報処理に集中できる空間。
移動中のストレスを抑え、むしろ豊かな時間を与える、移動空間。
こうした未来像を実現するには、全車に、“事故ゼロ前提の技術”が義務化されることが、不可欠であり、そこに本気で投資しないメーカーは、やがて“時代に淘汰される”。
「安全」という基盤の上で、次の進化が始まる
もちろん、移動そのものが不要になるような、“意識の進化”も、いずれは、現実になるかもしれない。
その未来では、脳や意識が、物理的な距離に縛られず、体験や知識を共有する世界が、広がっていくだろう。
だが、今はまだ、肉体を伴う“物理的移動”の世界に生きている我々にとって、「自動車」は、「人を傷つけずに移動する」という最低限の責任を果たす、存在でなければならない。
そして、その延長線上にこそ、“移動”が「義務」や「習慣」ではなく、選びたくなる体験となる未来があると、信じている。
次章(第6章)では、「事故ゼロ」に向けて、実際に取り組んでいる、国内外の先進メーカーの事例や、その背後にある思想や、社会的責任について、掘り下げていきたい。
第6章 「事故ゼロ」への挑戦──メーカーの責任と未来への約束
「事故のない社会を目指す」。
この言葉が、単なるスローガンで終わるか、現実のビジョンとなるか──。
それを左右するのは、「自動車」をつくるメーカーの、本気度にかかっている。
「自動車」は、今やただの移動手段ではない。
社会インフラの一部として、そして時には、命を左右する存在として、自動車メーカーには、「安全と倫理」の両面において、大きな責任が求められている。
スバルが掲げる「2030年、死亡交通事故ゼロ」
先頭を走るのが、スバルの「2030年、死亡交通事故ゼロ」宣言である。
スバルは、「アイサイト(EyeSight)」という、運転支援システムの進化に力を注ぎ、歩行者や自転車との衝突回避、誤発進抑制、渋滞時の自動追従など、“人間がうっかりしても、車が守る”という思想を、かたちにしてきた。
この取り組みの特徴は、高級車や一部のモデルだけに限定せず、普及モデルにも、広く搭載していることだ。
安全は、「選ばれた人の特権」ではなく、「すべてのドライバーの基本権」である──。
そんな信念が感じられる。
SUBARUの総合安全
引用元:アイサイト SUBARUの総合安全
国内自動車メーカーの安全装備の比較
日本の主要自動車メーカーが提供する安全装備(先進運転支援システム:ADAS)を比較し、一覧表にまとめてみた。
各メーカーのシステム名称、使用センサー、検知対象、作動速度範囲、主な機能、および全車種に標準装備されているかどうかを示している。
メーカー | システム名称 | 使用センサー | 検知対象 | 作動速度範囲 | 主な機能 |
---|---|---|---|---|---|
トヨタ | Toyota Safety Sense | 単眼カメラ+ミリ波レーダー | 車両、歩行者、自転車(昼) | 約5km/h以上(対象により異なる) | 衝突回避支援、車線逸脱警報、レーダークルーズコントロール、標識認識など |
ホンダ | Honda SENSING | 単眼カメラ+ミリ波レーダー | 車両、歩行者、自転車(昼) | 約5〜100km/h | 衝突軽減ブレーキ、車線維持支援、アダプティブクルーズコントロール、標識認識など |
日産 | インテリジェント エマージェンシーブレーキ | 単眼カメラ+ミリ波レーダー | 車両、歩行者(昼) | 車両:10〜80km/h、歩行者:10〜60km/h未満 | 衝突回避支援、車線逸脱警報、踏み間違い衝突防止アシストなど |
スバル | アイサイト | ステレオカメラ | 車両、歩行者、自転車 | 約1〜160km/h | プリクラッシュブレーキ、アダプティブクルーズコントロール、車線維持支援など |
マツダ | i-ACTIVSENSE | フォワードセンシングカメラ | 車両、歩行者 | 車両:約4〜80km/h、歩行者:約10〜80km/h | 衝突回避支援、車線逸脱警報、アダプティブクルーズコントロールなど |
スズキ | スズキ セーフティ サポート | 単眼カメラ+レーザーレーダーまたはステレオカメラ | 車両、歩行者 | 車両:約5〜100km/h、歩行者:約5〜60km/h未満 | 衝突回避支援、車線逸脱警報、踏み間違い衝突防止アシストなど |
三菱 | e-Assist | 単眼カメラ+レーザーレーダー | 車両、歩行者 | 車両:約5〜80km/h、歩行者:約5〜65km/h未満 | 衝突被害軽減ブレーキ、車線逸脱警報、踏み間違い衝突防止アシストなど |
ダイハツ | スマートアシスト | ステレオカメラ | 車両、歩行者 | 車両:約4〜120km/h、歩行者:約4〜60km/h | 衝突回避支援、車線逸脱警報、踏み間違い衝突防止アシストなど |
補足事項:
各メーカーの安全装備は、基本的な機能は共通しているが、使用するセンサーや検知対象、作動速度範囲などに違いがある。
多くのメーカーで、主要な安全装備を多くの車種に標準装備しているが、一部のグレードではオプション設定となっている場合がある。
最新の装備内容や標準装備の範囲は、車種やグレードによって異なるため、購入を検討される際は、各メーカーの公式サイトや販売店で最新情報をご確認ください。
海外メーカーの挑戦も加速
スウェーデンのボルボ(Volvo)も、「2020年以降、自社の新車で死亡事故をゼロにする」という、明確な目標を掲げたことで有名だ。
衝突事故のない世界という大きな目標に向けて、LiDAR技術ならびにAIで動くスーパーコンピューターを、次世代電気自動車の最初のモデルとなるボルボEX90に標準装備します。これにより無線通信経由(OTA)で安全機能の継続的な改善を進め、最終的には自立した自動運転機能へと移行していく予定です。
引用元:Volvo セーフティ
実際に、全車に速度制限(上限180km/h)を設けたり、ドライバーの注意力が低下した際に、警告を発するシステムを搭載するなど、“人の限界”を受け入れた上で、安全を担保する方向に、舵を切っている。
ドイツのメルセデス・ベンツやBMWも、LiDARやAIによる予測制御を導入し、「車が先に危険を察知する」技術に、注力している。
彼らが目指しているのは、“ハンドルを握ることが、不安ではなくなる社会”である。
日本国内での社会的責任への視線
日本では近年、高齢ドライバーの事故や、煽り運転、逆走などが、社会問題化している。
こうした課題に対しても、技術的アプローチによって、未然に防ぐという流れが、明確になってきた。
トヨタは、「Mobility for All」というスローガンのもと、歩行者や障がいのある人への対応も含めた、“包摂的モビリティ”を推進している。
引用元:Mobility for ALL 移動の可能性を、すべての人に。
日産は、e-Pedalやプロパイロットなどを通じて、運転操作のシンプル化と、安全性の両立を図っている。
“できるのに、やらない”は、もはや罪である
ここまで、各社の取り組みを見てきたが、技術的には、「事故ゼロに近づける装備」は、すでに多く開発されている。
問題は、それを、すべての「自動車」に標準装備として、組み込む意思があるかどうかにある。
安全装備をオプション扱いにし、「価格競争」の中で、後回しにするようでは、メーカーとしての社会的責任は、果たせていない。
今後の消費者は、「どれだけ走れるか」より「どれだけ守れるか」で、「自動車」を選ぶ時代になる。
これからの「自動車」作りに必要なのは、速さや派手さではなく、“当たり前の安心”を提供する、誠実さである。
次章(第7章)では、「事故ゼロ社会」を実現するために、AIや車同士の通信、インフラとの連携といった未来の交通システムの全体像に、目を向けていこう。
第7章 優遇されてきた産業だからこそ──責任と恩返しの自動車づくりを
日本の自動車産業は、長らく「国の屋台骨」として経済を支えてきた。
トヨタ、日産、ホンダ、スバル、マツダ…。
そのすそ野は広く、部品メーカー、運送業、販売店、整備業までを含めると、数百万の雇用を生み出す巨大産業である。
その重要性ゆえに、長年にわたって、税制や政策面での支援、あるいは、公共交通に代わる地方インフラとしての、特別扱いを受けてきた。
まさに、国民全体が、その成長を支えてきたと言っても、過言ではない。
だからこそ──その恩を、今こそ「安全と安心」というかたちで、社会に返す時である。
技術的には「できる」ことが増えてきた今
「事故を防ぐ」ための技術は、今や、目覚ましい進化を遂げている。
前方衝突の自動ブレーキ、誤発進抑制装置、車線逸脱防止システム、ドライバー異常検知、歩行者との衝突を避けるAI制御の緊急停止──。
こうした技術は、すでに多くのメーカーが、保有している。
しかし、その恩恵が、すべての「自動車」に、行き渡っているかといえば、まだ不十分だ。
「高級グレードなら標準」「軽自動車や低価格モデルはオプション」──。
このような選択肢の構図が、安全の格差を生んでいる。
だが、命に対して、「グレードの違い」があっていいはずがない。
本当に、社会の一員としての責任を果たすなら、価格や利益よりも、まず安全を“標準”にすべきだ。
「あぐら」をかくな、日本の自動車産業
世界に誇る技術があり、豊富なデータがあり、熟練のノウハウがある。
それでも、今の姿勢が「現状維持」や「利益優先」では、日本の自動車産業が、この先も社会の信頼を、得続けられるかは疑わしい。
ユーザーは、ただ走るためだけに、「自動車」を買うのではない。
家族を守りたい、事故の不安なく暮らしたい、安心してハンドルを握りたい。
そうした願いが、購入の背景にある。
自動車メーカーは、そうしたユーザーの声に、誠実に応えるべきだ。
安全装備を、誰もが手にできるようにし、万が一にも、命が脅かされることのないようにすること。
それが、「社会から優遇されてきた産業」の、当然の責任である。
「世の中のために、何ができるか」を基準に
今後の開発の基準は、単に売れるかどうかではなく、「社会の役に立つか」「人を守るか」であるべきだ。
人々が、「自動車」に求めるのは、もう燃費でも馬力でもデザインでもない。
“命を預けてもいいと思える存在か?”だ──。
それが、これからの選ばれる、条件となるだろう。
「事故ゼロ」社会の実現は、絵空事ではない。
「やるか、やらないか」だけの話である。
そして、日本の自動車産業には、それを「やれる力」が、すでにある。
次章(第8章)では、ユーザーや社会全体が、どのようにこの流れを後押しできるか、“消費者としての選択”や“行政の役割”に、視点を移していきたい。
第8章 「選ぶ自由」が“選べない現実”──ユーザーの声が未来を変える
我々は、毎年多くの費用を車に支払っている。
自動車税、重量税、ガソリン税──。
いずれも、少なくない額である。
さらに、車検や整備費用、自動車保険など、安全を守るために必要な制度にも従っている。
それなのに、「本当に安全な車」が、誰にでも当たり前のように選べるかというと、残念ながら、今の社会では、そうとは言えない。
“安全性”がオプションでいいのか?
衝突被害軽減ブレーキや歩行者検知機能、車線維持支援や後方衝突警告など、数々の安全装備は、技術としてすでに存在している。
一部のメーカーでは、標準装備として、全車に搭載しているところもある。
しかし、多くの場合、上位グレードや高価格帯の車種にしか、ついていない。
つまり、「より安全な車に乗りたい」という、当たり前の願いを実現するには、さらにお金を積まなければならない構造が、残っている。
これでは、安全は、「選ばれた人のもの」になってしまう。
安全は、“贅沢品”ではなく、“公共インフラの一部”であるべきだ。
税金と安全装備のギャップ
ユーザーが、「自動車」に払っているお金は、単なる「贅沢の対価」ではない。
その多くが、社会インフラ維持の一部を担っている。
- 道路整備
- 交通安全対策
- 環境対策や災害復旧
これらは、確かに必要な支出だが、それと同等、あるいはそれ以上に、「安全な車に乗る権利」が確保されるべきではないだろうか。
安全装備を義務化し、すべての新車に、標準装備させること。
それが、社会全体の事故リスクを下げ、結果として、医療費や損害賠償、行政負担を軽減する。
これは、コストではなく、未来への“投資”である。
選ぶ力は、選ばれる社会をつくる
我々ユーザーには、単なる購入者としてではなく、社会を動かす消費者としての、力がある。
- 安全性を最重視して車を選ぶ
- メーカーに声を届ける
- 政策に関心を持ち、提案する
これらの行動は、小さな一歩のようでいて、次の時代の標準をつくる、大きな原動力になる。
「安全が当たり前」を当たり前にする未来へ
安全性の高い車が、特別な人のものではなく、すべての人が、安心して選べる存在であること。
それが、次の社会のスタートラインだ。
技術はある。
お金も、我々は、すでに払っている。
あとは、それを、「正しく使う」だけだ。
次章(第9章・最終章)では、ここまでの想いをまとめ、「事故ゼロ社会」の未来像を、描き出していこう。
第9章 いま、自動車が問われている──「命を運ぶ」インフラとしての進化へ
「自動車」は、単なる移動手段ではない。
日常の買い物、仕事、旅行、災害時の避難──。
あらゆる場面で、「自動車」は、我々の生活を支える、重要な社会インフラである。
だからこそ、もう一度、問い直さなければならない。
「人を傷つける可能性を内包したままの乗り物で、未来を任せてよいのか?」
答えは明らかだ。
もはや、「事故ゼロ」は、目標ではなく、最低条件(マスト)である。
技術は、すでに揃いつつある。
そして、使う側も、進化を求めている。
自動車メーカーの社会的責任とは
日本の自動車産業は、日本経済の柱として長年支えられてきた。
その分、税制や制度面での恩恵を多く受けている。
だからこそ今、その恩返しを社会に返す時に来ている。
- すべての人が、安全な車を当たり前に選べる世界をつくること
- 利益よりも命を優先する開発姿勢を持つこと
- テクノロジーで人の命と暮らしを守ること
その責任を果たせるのは、自動車メーカーしかいない。
我々一人ひとりも、社会の変革者である
「メーカーがやるべきこと」と同時に、「我々にできること」も存在している。
- 安全性能を重視して自動車を選ぶ
- メーカーや社会に声を届ける
- 家族や地域と安全意識を共有する
技術を選ぶのは、我々だ。
選択の力が、社会の方向性を変える。
事故のない未来へ──「当たり前」が変わる時代へ
自動車が、人を傷つける可能性から解放される日が来たとき、我々は、移動という営みの意味を、新たにするだろう。
「安全に目的地へ着く」
そんな、ただの当たり前のことが、“確実に保証される時代”は、もう目の前だ。
それは、技術の進化によってではなく、社会の良心と、企業の使命感と、我々の選択が生み出す未来である。
「自動車」は、人の命を運ぶ乗り物だ。
その重みを忘れず、これからの社会が進むべき道を、我々の手で照らしていこう。
まとめ──自動車が守るべきもの、それは「命の未来」
「自動車」は、ただのモノではない。
それは、人の暮らしと命を運ぶ、社会を支える大きな存在だ。
しかし、時代は変わった。
便利さや速さ、燃費やデザインだけでは、もはや語れない時代である。
「自動車」に求められるのは、「事故を起こさないこと」。
それが、“あたりまえ”になる時代を、我々は望んでいる。
メーカーには、その責任と力がある。
そして、ユーザーには、声を上げ、選び、共に社会を変えていく力がある。
AIやテクノロジーの進化は、その未来を実現可能にしている。
「できるのに、やらない」ではなく、「できるから、やる」時代へ。
「自動車」を、人と社会の希望の象徴へと変えていこう。
安心して乗れる。
信頼して任せられる。
そんな「自動車」とともに生きていく未来を、今ここから始めよう。